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英語学習サイト「英語克服戦記」の姉妹編。
教育だけではなく、食生活、差別、メディア、国際関係といった社会問題一般や作者の生活について述べていきます。
のいちごくっきーの宇宙日記 富山県立高岡南高校に始まり、10県65校で、高校生が必修科目を履修しておらず、卒業できない可能性があるということで問題になっている。
私に言わせれば、何をいまさら・・・といったところだ。 そもそも、小学校の「総合的な学習の時間」なるもので、通常の教科教育をしているところもあるという指摘が数年前になされているわけで、このようなカリキュラムの形骸化は想定できない方がおかしい。 次に、時間さえ費やせばいいという問題ではない。 「英語克服戦記」や過去の記事でも書いたとおり、中学英語や算数も出来ない大人が世の中どれくらいいるというのだ。「必修」といっても、教育の中身が伴っていなければ全く意味は無い。 マスコミの批判の仕方にも問題がある。あれほど教育格差について批判をしておきながら、あたかも公立の学校が受験教育の軽視をしてよいかのようにマスコミは主張する。「高校は予備校ではない」といった主張がそうだ。本来、予備校が無くとも中等教育の内容を生徒に完全に習得させることは高校の義務である。それが出来ないから予備校が発展するのだ。言い換えるならば、予備校の役割をも包含した高校こそが望ましいのだ。これを否定するならば、よい大学に行きたければ高い金を払って予備校に行くしかないということになる。これは親の収入による教育格差の容認だ。 この件に該当する高校生に対する措置だが、何の落ち度も無いのに何十時間も費やして受験に備える時間をそぐというのは不当な負担だ。とはいえフリーパスも問題があろう。数時間の補習で済まし、高認(旧大検)の該当科目分の試験で単位認定とするのはどうだろうか。一番ましな解決策だと思う。 本ブログ姉妹サイト「英語克服戦記」 ローマ字から、高認、TOEFLまで、英語学習のアドバイスをしています。 秋だ。
さつまいもの季節だ。 さつまいもは甘くておいしい。 しかし、調理が意外に難しい。 よく、雑誌やネットのレシピ集で家庭でのやきいもの作り方が紹介されている。それを見て家庭用オーブンで作ってはみるが、成功したためしがない。全然甘くならず、ぼそぼそしている。 最近、有機栽培のさつまいもが安く手に入った上、それが非常に大きかったので、他の料理にチャレンジしてみた。芋ご飯はおいしかった。じっくり加熱されて甘みが増していた。飽きてくれば、藻塩(海藻と海水で出来た塩)を少し振り掛ければ、甘みと塩味、コクが混ざり合って複雑な味をかもし出す。 微妙だったのはさつまいものオレンジジュース煮。ネットのレシピを見て作った。そこそこおいしかったが、いもの甘さとオレンジジュースの酸味が調和していなかった。オレンジジュースが安物だったのが悪かったのかな・・・ 味噌汁は成功。他の具に気をつければ問題なし。 さつまいもと無添加の練り物、大根を入れてみるとおいしかった。 今晩はクリームシチュー。鮭とたまねぎと菜っ葉で試してみた。おいしかった。 料理がなかなか上達しない。一人暮らしだと料理が得意なのとそうでないのは天と地との差だ。精進あるのみ。 本ブログ姉妹サイト「英語克服戦記」 ローマ字から、高認、TOEFLまで、英語学習のアドバイスをしています。 数日前に書いたいじめの記事の続き。
自殺した子どもの学校の教師は、生徒達を侮辱し、それが生徒同士のいじめにつながったという。また、他のいじめの事実について、学校関係者同士の証言に食い違いがあり、いじめを隠蔽する腐敗した体質をうかがわせるといったことが朝日新聞の記事で論じられていた。 私は前の記事で、児童生徒による好ましくない行動は、ゼロ・トレランス方式(不寛容方式、問題行動は問答無用で退学などの処分をする)で対処せよと述べた。 ただし、それは決して管理教育を強化せよというものではない。 子ども達の学び場を最適化するためのものだ。 問題のある教師もまた、子ども達が被害を受ける原因であるため、除去されなければならない。 ゆとり教育、学力低下、学級崩壊、非行、いじめなどの問題を受け、知育と徳育の両面で、学校改革の必要性が学校関係者の間で議論されている。ただし、彼らは国や保護者を批判はするものの問題教師の処分について言及することはほとんど無い。教師もまた「余程のことが無い限り首にならない」という既得権益に執着しているのだ。 今、教師の教員免許更新制について議論されている。 現在政府などから提案されている研修とパスしなかったものの解雇というのは、研修内容と問題教師の発見、対処の基準があいまいで実効性に乏しい。 しかし、明白な基準による問題教師の排除は不可能ではない。 現在、児童生徒への虐待などの不祥事でも解雇にならないケースは多い。こういったことがあれば一発アウトにすればよい。 また、知育(各教科の授業)での指導力不足教員に対しては、全国共通試験の教え子の成績を基準に研修や解雇を決めればよい。 具体的に言うと、小中学校の定期試験(学期末だけでよい)は、学習指導要領(この中身も問題はあるがそれは別として)をもとにして、全国共通の定期試験(予算に応じてマークシート式、記述式を併用、子ども達の成績は受験番号で管理し、担任が下駄を履かせられないようにする)をつくり、それで児童生徒の各科目の成績をつける。6割程度を合格基準としその合格率で教師に対する評価も行う。高校の場合はこの試験を高卒程度認定試験(旧大検)やセンター試験と統合して中等教育の学習内容に関する資格試験とする(SATというアメリカ版センター試験のようにする)。これにより、児童生徒の学習到達度の判定とその後の学習指導、資格としての利用を促し、同時に教師の指導能力の判定材料にする。 これには「授業が試験のテクニックに偏る」という批判はあろう。しかし、問題の内容をカリキュラムに即して良問でそろえればよいので本質的な問題とはならない。また、「進学校と底辺校のハンデがあり、教師に有利不利がある」という批判も考えられる。しかし、学年不問、完全単位制習熟度別学習にし(つまり、高学年の授業についていけない子どもは年齢は高くとも低学年の授業の復習が義務付けられる)、教材ももっと厚くして具体例と平易な説明、良問をそろえた練習問題を充実させればハンデは最小となるのでよい。 この2つの方法があれば、公平な形で生徒と教師にとっての評価の基準が出来、徳育・知育の問題が最小となるだろう。 本ブログ姉妹サイト「英語克服戦記」 ローマ字から、高認、TOEFLまで、英語学習のアドバイスをしています。 NHKで医療問題に関する特別番組があった。
医者の数が足りない、医療費、保険料を支払えない人が出てくるといった問題が取り上げられていた。 財源の問題があるため、医者を増やすことは出来ないという方針がここしばらく取られていた。また、医者は四六時中働かされて、ミスをしそうになるほど心身ともに疲労困憊する様子も描かれていた。 医者が労働条件が厳しくて、病院を辞め、人数が少なくなってより環境が悪化して、また一人辞め・・・という悪循環らしい。 私が思うに、今の医者はかなりの高収入だが、忙しすぎて現場の医者には自分の仕事に魅力が感じられないようだ。ならば、一人一人の収入を減らす形にして人数を増やすというのはどうか。これならば、大幅に予算を増やす必要は無かろう。 もう一つ論点を。自由診療について。私は、先端技術を用いた医療の自由診療は規制緩和するのは止むを得ないと考えている。もちろん、人間の命に格差があってはならない。低い階層の人がきちんとした診療を受けられないのは論外だ。しかし、開発中の技術を完成させるには、患者のうち誰かが協力しなければならない。将来的に、集合的に考えると、完全な規制には無理があるといえよう。 それにしても、この番組で取り上げられていた格差の例(低額だが質の悪いサービスと高額だが質の良いサービス)は、映画のいらっしゃいませ、患者さま。 / 渡辺・えり子を思い出した。経営が苦しくなっている病院を建て直すため、いろいろなサービスをして追加料金を取るという主人公達を描いたコメディだが、これも現実になるのか。 本ブログ姉妹サイト「英語克服戦記」 ローマ字から、高認、TOEFLまで、英語学習のアドバイスをしています。 テーマ:福祉サービスを知ろう - ジャンル:福祉・ボランティア この前、また痛ましい事件が起きた。中学生がいじめで自殺した。自殺当日も、トイレで同級生が被害者のズボンを下ろして下半身を露出させようとしたという。
いじめは何十年前から社会問題として捉えられ、メディアで再三取り上げられているが、一向に「いじめをなくす」ことなどできない。「なくす」というのは、「交通事故をなくす」というのと同じレベルであり、不可能かもしれない。 ただ、いじめを減らすにはどうすればよいかということに関しても名案はなかなか出てこない。 アメリカでは、児童生徒の不正行為に対して、「ゼロ・トレランス方式」という対策が採られている。これは、社会心理学における割れ窓理論という理論を応用したものだが、不正には問答無用で退学などの罰則で応じるというものだ。この理論には批判もあるが、一定の成果をあげているという。 心の教育などという具体性を欠き、何の効果もない建前など必要ない。そんなものは児童生徒に見透かされるのが落ちだ。小学校低学年の子どもならいざ知らず、ある程度の年齢の子どもなら、社会規範、慣習、人間関係を勘案して、逸脱者をいじめないと自分がいじめられる、あるいは非常識な人間だということになり、損をすると認識するだろう。損得の図式を変えなければいじめは減らないのは明白だ。もちろん、これだけで全てが解決するわけではないが、具体性を持った議論が必要だ。 本ブログ姉妹サイト「英語克服戦記」 ローマ字から、高認、TOEFLまで、英語学習のアドバイスをしています。 私が私であるために 相沢咲姫楽主演 中村中出演
(男性から女性への)性同一性障害の当事者が、このテーマについてのドラマに出演した。これは画期的な企画なのだろう。しかし、予想通りに一般常識に適合した予定調和に終わっている。 数年前の「3年B組金八先生」で上戸彩が虎井まさ衛氏をモデルにした鶴本直を演じてから、それがヒットしたおかげで、性別再判定手術などの一定の条件を満たした場合、戸籍の性別が変更できるなどということが実現した。しかし、これでめでたし、めでたし、というわけではない。 私は、過去の記事でも書いたように、当事者が差別されることは防がなければならないけれども、性別2分法を容認することは当事者といえども許されないと考えている。 容姿等、人間の趣味嗜好は全て文化的な影響を受ける。究極的には人間には自由意志は無い。しかし、人間は男と女がいて、男らしさと女らしさがあって、人はそれに従うものだという幻想を抱いている。本人がそれで納得した場合、それは個人単位では良いかもしれないが、戸籍の性別などという法律でのジェンダーの裏づけを肯定するなどということは、他者の行為を制限するものだ。社会的に男女を分けた扱いを容認するというのは、教育、雇用、日常生活でかくあるべしということを個々人に押し付ける。当事者達が戸籍の性別を変えようが、社会的な性(ジェンダー)は身分を規定するものであり続ける。 別に(性転換を望んではいない)男の子が赤いランドセルを欲してもなんの不利益もない。異性のホルモンを投与して、体を一部作り変えたいけれども、手術で今の性器を取りたいとは思わないと思う人だって、本人がそれが自分にとって美しい体だと思えば本人の勝手だろう。 このドラマでも一般人が性同一性障害に対して無知だというシーンはあるが、結局、性別2分法を容認している。個人の自由を個人単位には還元していない。なぜ、ランドセルの色や服や行動様式を性別で分けることそのものを自明のものにするままでいるのか。 別に当事者だから、その社会問題を全て理解し、解決に導くことができるわけではない。 もう一つ、気になった点がある。当事者がこのドラマに出演してどう思うかだ。ある当事者のキャラクターは、自分の状況に苦しむ事を「甘え」と称した。これを出演者とこのドラマを視聴している当事者はどう思っているのか。当事者に対する差別は存在するのだろう。学校でも就職活動でも差別はあるだろう。当事者は風俗店以外に就職することは出来るのだろうか。社会学者でこの状況を調査した人はいるのかどうかわからないが、まともに社会生活が送れない人は多いのではないか。当事者の中にはどうしても容姿にハンデを持っている人もいる。これを全て「甘え」を捨てろと十把一絡げにしていうのは、金持ちが貧乏人に「自己責任」なるものを押し付けて、搾取の再生産を促しているに等しい。どうせなら、主演を女性には全く見えない人にしたらどうだろうか。 結局、性同一性障害に関してマスコミや一部の当事者が作り出す言説は、単なるブームであり、なりたい性になる見込みのある人が、自分個人の目的を達成することのみに利用するものに過ぎない。 性差別に関する社会問題は、女性差別のみならず、性同一性障害もあるし、半陰陽(男女両方の身体的特徴を持つ人)や、同性愛、男性に対する差別もある。保守だろうがリベラルだろうが、性的少数派だろうが、一部の人間の勝ち逃げを許すことの無いシステムを作らなければならない。そのためには、より多角的な視点で問題を捉えることが必要だ。 本ブログ姉妹サイト「英語克服戦記」 ローマ字から、高認、TOEFLまで、英語学習のアドバイスをしています。 テーマ:女性化・男性化・中性化 - ジャンル:心と身体 この前、新政権の文部科学大臣が小学校での英語必修化に慎重な立場を示した。
私は、現在の日本の状況では、小学校の英語必修化には反対だ。 もちろん、充分な予算があれば、小学校英語も悪くは無い。しかし、予算が限られた中、無理に導入すれば、予算と時間の無駄になるだけだ。 小学校での英語導入には、もちろん賛否両論ある。だが、反対意見も一枚岩ではない。 「英語より日本語を優先させよ」というのは理由の一つである。件の文部科学大臣はこちらに属するだろう。 私は「日本語の方が重要だから英語を軽視してよい」とは言っていない。本来は母国語と外国語の両方が出来て当たり前だ。今の時代は英語は出来て当たり前、優秀な人はマルチリンガルだ。 ただし、今検討中の小学校英語では、子ども達が英語を習得する環境は作れない。 小学校1年ではなく5年から、週5ではなく週1回、ネイティヴではなく日本人、それも英語教育の経験が無い人がほとんど。こんな状態で、どのように小学生が英語を習得するのだろうか? 本来、言語能力が母国語に特化する前に英語教育をするのなら、早いうちから母国語並に英語に触れさせるようにしなければならない。圧倒的に時間が少ない。さらに、教師の質も悪いのなら話にならない。予算と時間の無駄だ。 今の日本の教育の状況だと、予算を増やして大幅に改善することは不可能だろう。中等教育での英語教育は(予算を増やさなくても)改善する余地はあるが、小学校での英語教育はあきらめざるを得ない。現状をかんがみると、小学校段階では、勉強全般を嫌にならないようにすること、日本語の基礎の習得、算数の習得、副教科を通じたさまざまな体験をして、中学校以降に備えるしかないだろう。 本ブログ姉妹サイト「英語克服戦記」 ローマ字から高認、TOEFLまで、英語学習のアドバイスをしています。 もう10月だ。
秋なのだなと頭では思う。 でも、秋になった気がしない。 私は極度の暑がりで、まだ涼しくなった気がしない。 地球温暖化のせいか、東京特有なのかしらないが、まだ夏のままという感じがする。半そででも充分過ごせる。大学院も後期が始まって、一応長袖で登校したが、だるい。まだ夏休みの気分が抜けない。 帰りは汗だくになってしまう。 もうすぐ紅葉の季節なのだろうが、都会なので、狙ってどこか行くのでなければ秋の景色も見ることは無いだろう。東京に住んで何年にもなるが、すがすがしい気分には中々なれない。 まあ、六本木ヒルズとか表参道のような都会ならではの魅力もあるんだが。 なんかこのブログ、堅い話と愚痴ばかりのような・・・(汗)。 もっとやわらかくて、何か楽しい話が無いか考えて見ます。 本ブログ姉妹サイト「英語克服戦記」 ローマ字から、高認、TOEFLまで、英語学習のアドバイスをしています。
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