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英語学習サイト「英語克服戦記」の姉妹編。
教育だけではなく、食生活、差別、メディア、国際関係といった社会問題一般や作者の生活について述べていきます。
のいちごくっきーの宇宙日記 8Mile
エミネム主演 エミネムの半自伝的映画。 私はこの映画を観るまでエミネムのことを知らなかった。 映画だけを観ても、エミネムの演技から彼のプライド、葛藤、コンプレックスが混沌とした形で見るものを引き込む。 元々エミネムのファンだった人が、この映画を観るとどう思うかはまた異なった感想を抱くことだろう。本来の彼の魅力がどれほど引き出されているかは私には分からない。 ただ、日本の一般人から見ると不安と恐怖の対象であるスラムに生きる人々が、プライドをつきあわせて生きていくさまを生き生きと描くこの映画には、見る者を別世界へといざなう。それはエミネムの半自伝という要素も超えている。 この映画では、2人がお互いに相手を威圧し、非難する言葉を歌にしてぶつけ合う「試合」があることだ。ラップに詳しい人なら驚くことではないのだろうが、私は精神を戦わせるこの場を、ある意味格闘技以上に命を賭けた戦いだと感じた。 私が特に印象深かったのは、主人公が相手に「お前は私立のいい学校に行ったおぼっちゃんだ」という趣旨の攻撃をしたことだ。 一般人にとっては、よい学校でよい教育をうけることはプライドにつながることである。だが、スラムに生きる人々にとっては、高い教育はネガティヴなレッテルなのだ。言い換えれば、中産階級や資本家階級の価値観とは全く相容れない彼ら独自の発想である。 もし、このブログを見て、この映画を観ようかと考えている読者の方は、次の事を考えて欲しい。もし、あなたが比較的高い階層(恵まれた家庭に生まれた)の人ならば、この映画を観て「別世界」を感じて欲しい。 もし、あなたがあまり恵まれた層の出身でないならば、この映画に共感するのは容易かもしれない。ただ、映画やテレビ、ネットの情報を通して、自分とは異なる世界を見るようにして欲しい。それによって見聞が深められるだろう。 英語難易度 かなり難しい。 英語字幕を見ても、スラングだらけで何を言っているのか分からない。 一応、場面の移り変わりは把握しやすい映画の構成になっているため、作品そのものが分からないことはないだろう。ただ、英語で細かい表現まで理解するのはきわめて困難だといえる。 あと、一応言っておくが、かなり下品とされる表現が使われている。この映画のセリフを真似しようとはしない方が良い。 本ブログ姉妹サイト 英語克服戦記 英語学習法のアドバイスをしています8Mile / エミネム まだ社会学に関する記事が無かったのでエッセイを一つ。
「3年B組金八先生」で上戸彩が性同一性障害を抱える鶴本直を演じてから、トランスジェンダーが話題になるようになった。ドラマ以降、鶴本直のモデルである虎井まさ衛氏ら当事者達が運動したり、性同一性障害に関連して、新聞記事やテレビの特集で多く取り上げられるようになった。 その結果、公式な性別再判定手術(Sex Reassignment Surgery, SRS=性転換手術)や戸籍の変更が可能になった。今まで非公式の形で手術を行ったり、海外で手術したりするなど、性転換手術が公式の治療だと認知されなかったり、その後も社会的な扱いに関する議論がなされなかったりして、今よりも以前の方がひどい状態だったのだろう。 だが、今、メディアで認知され、戸籍の変更も行えるようになって、これでめでたし、めでたし、と言えるのだろうか? 性同一性障害に関しては、まだ議論し尽くしていない点がまだまだある。例えば、性役割、つまり男はこうしなさい、女はこうしなさい、といった規範だ。トランスジェンダーの人たちは、子どもの頃から周りから押し付けられてきた性役割を拒否し、マイノリティ(社会的少数派)として自由を求め戦っているのだから、常識や偏見にとらわれずに自分も他者も自分らしく生きればよいと考えているか? 個人差もあり十把一絡げに言えないのだろうが、多くの人達はNOだろう。 なぜか? 例えば男性から女性になりたい人を考えてみよう。 彼らはまず、スカートをはきたがる。女性でもスカートを全くはかない人も中にはいるのにだ。「女性はスカートをはくものだ」という性役割規範が内在化している。 髪の毛や化粧も、髪の毛が短くてほとんど化粧をしない人もいるにも関わらず髪の毛を伸ばして化粧をする人が多い。これも女性はこういうものだという規範を前提にしないと存在し得ない考え方だ。 このように、周りから押し付けられた性役割規範を拒否して自由に生きる事を目指しているとは必ずしも言えず、自分の体とは異性の規範が内在しているに過ぎない。 加えて、性別二分法を必ずしも完全否定していないことも留意すべきだろう。 一般人の常識で言えば、世の中には2種類の人間しかいないことになっている。男らしさを身に付けて、男の体をし、女性を好む男性と、女らしさを身につけて、女の体をし、男性を好む女性だ。 ただ、世の中には同性愛の人もいれば、性同一性障害の人もいる。また、生物学的に男女の中間の体に生まれた半陰陽(インターセックス、 Intersex)の人もいる。 このように、多くの人間が性役割という作られたものに縛られ、生物学的、文化的にさまざまな性の人がいるにも関わらず、戸籍を「変更」するという、人間には男女2種類しかいなくて、性同一性障害であれば片方からもう片方へと「変更」するという常識の延長線上でしかない考え方に当事者を含めて多くの人が何も問題が無いように語る。 誤解のないように言っておくが、私は彼らには自分のアイデンティティに沿った生き方をすることは全く間違っていないと考えている。ただ、性同一性障害に関する議論が、メディアも一般人も当事者も一人歩きをさせるようにしてしまっているのではないかと考えている。 そもそも、法的文化的な性別二分法そのものがステレオタイプや偏見、差別の温床になっているのに、それを排そうとしないことは何の改革にもつながらない。トランスジェンダーの当事者も、例えば男性から女性に性転換して、見た目も身分上も女性になったとしても、今度は「お前は女だから無能だ」といったような偏見の対象になっていいのか。 性別二分法が排され、一切のステレオタイプ、偏見、差別がなくなれば、性同一性障害は、少なくとも個々人のライフスタイルの点からすれば完全に無効化される。性転換手術も整形手術と同義になる。単に自分がこうなりたいという肉体へ、いかに近づくかのみが問題となる。 ゆえに現状は常識にとらわれた人々の妥協の産物であり、集合的に見ると、個々人のライフスタイルが最大限自由化した状態にはなり得ないものだ。 ジェンダー論は弱者が一つの集団として結束して、とりあえず権利拡張をしておけばよいというパラダイムから脱し、個々人として個人的にも、社会全体として集合的にも損害を最小化する社会システムを目指すモデル作りを目指すべきである。 本ブログ姉妹サイト 英語克服戦記 英語学習法のアドバイスをしています テーマ:女性化・男性化・中性化 - ジャンル:心と身体 家庭の事情で、今後私の収入が減る見通しだ。
大変だ。バイトを始めるとしても授業と両立できるか。 宿題もたまってるし、研究計画のめどは立っていないし。 次世代TOEFL、GRE対策もしなければならないし。 どうしよう。 そんなこんなで、ひょっとしたら休学して働かなければならないのだろうか。そういう状況で思ったのだが、日本の大学の単位制度は改善されないのだろうか? 日本の大学は、大学によっても違うが、通年科目と半期科目を比べると通年科目が多い気がする。何らかの事情で休学せざるを得ないとき、半期科目が多ければ、半年通えば途中で休んでもいくつかの単位が認定される。しかし、通年科目が多ければ、年度途中で休むと単位認定がされなくて時間が無駄になる。これは学生にとって痛い。私の大学は通年科目が多くて、年度途中で休学すると単位がほとんどもらえない。各大学は、できれば科目を細切れにしてもらいたいものだ。 本ブログ姉妹サイト 英語克服戦記 英語学習法のアドバイスをしています
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