英語学習サイト「英語克服戦記」の姉妹編。 教育だけではなく、食生活、差別、メディア、国際関係といった社会問題一般や作者の生活について述べていきます。

のいちごくっきーの宇宙日記

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英語字幕で映画 ヴィレッジ
ヴィレッジ The village 2005 アメリカ

またまた英語学習を兼ねて、DVDを借りて見たが、これを批評するといっても、結末を言うわけにはいかないので簡単な品評をしよう。

何を期待して観るかによって、評価が異なる、つまり見る人によって好き嫌いが大幅に分かれると思う。

この作品を一言で表現するなら、「呪いが解かれない京極夏彦の小説」というところか。

英語難易度
ほとんどのキャラクターがゆっくりと英語を話すので、スピードについていけないことはない。ただし、古めかしい表現が多いため、分からない点も少しはあるかも。ただ、総じていえば簡単な方だと思う。

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| 英語で映画 | 23:49 | トラックバック:0コメント:0
アメリカの一流大学
2006年5月20日の朝日新聞朝刊で、「ロス郊外「チャイニーズ・ビバリーヒルズ」」という記事があった。

中国の経済発展の影響で、アメリカのカリフォルニア州に中国の富裕層が多く住むようになったという。それで、高級住宅街に住み、子をスタンフォード大学やUCLAなどのカリフォルニア大学に通わせるといったように教育に関心を持っているという。

私はカリフォルニア州ロサンゼルスで語学留学したことがある。チャイナタウンやコリアタウンは大規模(ただし、高級住宅街はない)だったが、リトルトーキョーはこじんまりで何もないところだったというのが強く印象に残っている。

日本とそのほかの国では国際的成功を夢見る人がいかに少ないかが分かる(中国人の人口が多いからという誤解をされないように言っておくが、人口比という観点だと、日本より人口が少ない韓国人もアメリカには多く移住してコミュニティを作っている。また、韓国国内ではSAT(アメリカ大学入試共通試験)の教材を用いて英語だけで英語教育を行っている高校がある)。

日本は功罪両面あるとはいえ、自由競争原理による改革が行われてきた。教育に関しては、漫画「ドラゴン桜」に見られるように、ゆとり教育を批判し、搾取される側ではなくルールを作る側を目指せという論調が出てきた。

しかし、「東大へ行け」とはいっても「ハーバードへ行け」とまでいうことはない。たしかに、海外のトップスクールは学費が高いという問題はある。ただ、日本の国際的地位が今後も安泰かどうかは分からない以上、経済的成功には海外でのビジネスチャンスという保険が必要だし、国際機関や非営利団体、大学に就職したい人たちにとっては、世界レベルで高い教育を受けなければならないことは明らかだ。そのためには子どもが小さい頃から準備をして、海外のトップスクールに入学させることが必要だろう。

具体的には、それほど富裕層でなければ、子どもが小さい頃から授業料が高い私立の学校や塾に通わせることは必須ではないが、自分で勉強の面倒を見たり、教師が子どもの教育に熱心でなければ議論するなり、教育委員会や校長への抗議を通して圧力をかけるなどして改善させる。それで、基礎学力を徹底して身につけさせ、出来れば旧帝大に入れる。その後、奨学金の見込みがなければ数年働いて一年分(アメリカの大学は授業料だけで約3万ドル、日本円にして約300万円強かかる)の学費を得て、とりあえず大学院の出願させ、入学後良い成績を得させて授業料免除を目指すというのが無難だ。

残念ながら、未だにゆとり教育的な考え方を本気で信じている者は多い。子どもが搾取される側になっても最低限生存できれば良いだとか、将来成功しなくても「普通に」生きていれば良いなどと考えている人間が平気で人の親になっているのが日本社会の現状だ。

子どもを本気で愛しているならば、子を搾取される側に置いておいて良いなどとは思わない。搾取する側が良くなくとも、世の中を変えるための能力を身につけさせる場が必要なのは当然だ。日本人も他国の親のように子に英才教育をする習慣を身につけなければならない。

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| 教育 | 00:33 | トラックバック:0コメント:0
英語字幕で映画 堕天使のパスポート
堕天使のパスポート Dirty Pretty Things 2002 イギリス

イギリスでトルコ移民の女性と不法滞在のナイジェリア人男性が闇の臓器売買に巻き込まれる。貧富の格差と、先進国の闇の部分を独特の重苦しさで描いている。どんな奇麗事を言っても、世の中には格差があり、それを乗り越えられなくするシステムがあるのだ。搾取される側は身を削って生きていかなければならない。この映画は、そのような立場の人間達が、常にぎりぎりの選択を迫られていることを無理なく、リアルに描いている。ヒロイン役のオドレイ・トトゥは「アメリ」ばかり注目されるが、この映画でも人間の生き辛さをうまく演じきっている。
ラストには意外な展開が待っている。見る前にこのラストは予想できないだろう。

英語難易度
オドレイ・トトゥがノンネイティヴでトルコ人役のため、ネイティヴならではの癖がなく、その分分かりやすい。字幕がいらないほど簡単というわけにはいかないものの、他のキャラクターも全般的に極端に分かりづらいことはないだろう。

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| 英語で映画 | 03:16 | トラックバック:0コメント:0
映画で英語の勉強
最近、英語で映画をよく観る。
DVDを借りて英語字幕で観る。趣味と実益を兼ねた英語学習で、手軽に長続き出来て良い。

英語で映画を観ることは難しい。
単語、イディオム、発音、スラング、訛り、専門用語など、ノンネイティヴ向けではないので難しいのは当然だ。

本やホームページによっては、初心者でも映画を利用すべきだとしているものもあるが、それは無理だろう。
初心者、中級者は私のサイト「英語克服戦記」を利用して英語の基礎を学んで欲しい。

英語上級者は英語で映画を観ることにチャレンジしよう。
趣味と実益を兼ねて、手軽に長続きできる。
もちろん、これだけでは総合的な英語力を伸ばすことはできないので、他の英語の勉強も必要だろうが、映画も観て損はない。

リスニングの勉強には大別して2種類ある。精聴と速聴だ。

精聴について。英語の理解には、まずネイティヴが何を言っているのかを正確に理解しないことには何も始まらない。出来るだけ語彙を増やし、発音、訛り、話のスピードに惑わされないようにしよう。
映画でこのスキルを訓練する場合、DVD一つとその映画対訳集を買い、時間をかけて同じセリフを何度も何度も聞き、映画の正確な理解を目指そう。人間が一度に情報を記憶できる量は限られているため、細かくパートを区切って観よう。無理して字幕なしで見るよりは英語字幕で肩慣らしをした方が良い。

どの映画を観るかについて、長続きさせるため、基本的には好きなものでよいが、(自分でセリフを使う事を想定すると)スラングが多いものよりはセリフがフォーマルなもの、現代ものの方が良いだろう。
具体的には「マトリックス」を薦める。スラングや訛りがひどいキャラクターはほとんどいないし、エージェントにいたっては、まさに教科書どおりの英語だ。また、対訳本も出版されている。未来が舞台だが、セリフが使い物にならないほどではない。

次に、速聴について。いくら正確に聞くスキルが身についても、さまざまな種類の英語を把握できなければ、臨機応変に使える総合的な英語力にはならない。種類を問わず、定期的に、何本も観よう。その際は、普通に一回見るだけでよいから、英語字幕を確認して、「この単語はこの文脈で使われるのか」「このセリフにはどういう意味があるのか」など、英語を意識して観よう。

英語で映画を観ることは、英語上級学習者にとっては趣味と実益を兼ねたものである。皆さんもチャレンジしてみてはいかがだろうか。

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| 英語で映画 | 02:42 | トラックバック:0コメント:0
書評 進化心理学入門
今回は、心理学の勉強をかねて、本ブログで書評を行います。

カートライト 鈴木幸太郎・河野和明訳 2005『進化心理学入門 心理学エレメンタルズ』新曜社

進化と人間の行動に関する問題を述べた入門書。自殺が、自分の存在が家族の足手まといになり、それによって家族の適応価(自分の遺伝子を残せる可能性)が下がるから起こるという解釈は興味深い。
入門書としてはかなり分かりやすい。読み物として楽しむのにも、今後心理学を専門的に勉強するための予習としても使える。
心理系大学院の大学院受験勉強用には、新しすぎて出題範囲に入らない大学もあるだろうが、これから心理学や行動科学を専門的に勉強しようというのならば読んでおくべきだろう。

進化心理学は人間も生物だという前提で、人間の行動を自然科学的にもうまく説明が行くように配慮するパラダイムとして評価できる。一部の臨床心理学の学派のように、「心の闇」などという定義不明確な言葉を持ち出して、反証不可能な議論と精神論的な教訓を垂れるようなことは進化心理学の議論にはない。ただし、このパラダイムで、それこそ臨床心理学や精神医学が扱うような精神病や神経症の説明を、全て行うことができるかどうかは困難だろう。

一見利にかなっていないような行動をどう説明付けるか、さらに得られた知見を人間の生活向上に如何に結びつけるかということは進化心理学のみならず心理学、行動科学全般の目標といえよう。

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語学学校と数学教育(GREと統計学)
今日、大学院で統計学の授業を受けた。

皆、高校数学をほとんど憶えていないが、これまではなんとか授業についていけていたようだ。
私は、高校が普通科ではなく、高校数学をほとんど勉強したことがなかったため、ハンデはクラスメート以上だ。しかし、これまではそれでも何とか切り抜けてきた。

しかし、今日の授業では私も含め、皆、講師が何を言っているのか全く分からない状態だった。
講師が「質問ある?」と言うのだが、何を訊けばよいか分からなかった。物事が本当に理解できないときは、何が分からないのかも分からないものだ。

数学は、数学が苦手な者にとって、受け皿が英語以上に制限されている。
英語は、独学できつければ語学学校で勉強すればよい。もちろん、英語教育じたいが十分に発展しているとはいいがたい。日本の英語教育についての私の意見は「英語克服戦記」のはじめにSpeakingを参照してもらいたい。
ただ、問題点はあっても、英語学習は、少々金はかかるが受け皿はなくもない。

ただ、数学はそうもいかない。英語学校はあっても数学学校はないからだ。これは由々しき問題である。今や大学での学問は、文系でも社会調査や心理学実験の分析に統計学の知識が必須となるからだ。また、ゲーム理論や数理社会学、行動経済学にみられるように、人間やその他の個体の行動に関する数理モデルは良く使われるようになってきている。

語学学校で、大学留学や大学院留学といった正規留学を志望する生徒は最近は(私も含め)よく見かけるが、留学にはSAT、GRE、GMATなどの大学(大学院)入学共通資格試験を受験しなければならない。
これらの内容は日本の大学入試に比べればはるかに楽な内容だが、それでも数学が苦手な人には英語で数学をするという苦痛を味わわなければならない。

ところが、現状において、どの機関も幅広い層の人々に数学教育を提供することはない。かつて「算数ができない大学生」というのが問題となって久しいのにだ。学力低下の議論によって、大学生にもいろいろいるというのが分かっているのに、大学は補償教育をしないという怠慢を犯している。また、語学学校の資格対策の授業でも、数学をみっちり教えるということはしない。小手先のことだけやって、金儲けをしようとしているか、生徒の学力を理解していないかのどちらかだ。

よって、大学や語学学校で、数学教育を本格的に行う必要がある。

大学では学部で4年間、大学院でも最低修士課程の2年間、学生は通うことになる。その期間数学講座を学生に受講させ、必要とあらば算数から復習させ、文科系でも大学数学まで一通り理解させるようにすべきだろう。

語学学校では、留学準備をする人たちを対象に、英語で算数からみっちり復習させるようにすべきだろう。全日制のコースなら、週3くらいで習熟度にあわせ、数学の基礎を身に付くように教える必要があろう。

本来は、万人が小中高で国語や英語、数学、その他各分野の基礎を身に着けるようなシステムが必要だが、今の日本社会はそうなっていない。
よって、他の機関も、社会の現状を理解し問題点を補うようにしなければ、社会に貢献することが出来ないといえよう。

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| 教育 | 00:49 | トラックバック:0コメント:0
訳の功罪
大学院の授業で、英語の論文を読んで、レジュメにまとめるという作業が課されることが多い。そこで、教授から「全部訳してみる」「自然な日本語にしろ」などと言われる。
レジュメにまとめて「発表」する形式については前にも論じた。
ただ、大学院の授業のあり方として、英語の論文や本を読むことに関しての問題点はここにもある。

ホームページ「英語克服戦記」の読解のページでも書いたが、英文を読む際の必要なスキルは大別して「精読」と「速読」の二つである。すなわち、正確に構文や単語を理解する精読と、読んですぐに大意や必要な情報を把握する速読である。

日本の英語教育では速読のスキルがこれまで軽視されすぎてきた。また、翻訳が悪い意味で重視されすぎてきた。言い換えると、理解するために訳すのではなく、訳すことが自己目的化してしまっているのだ。

単語や文法を理解しており、内容的にも理解が出来るのであれば、そこで日本語の文章を書く理由がどこにあるのだろうか?
もちろん、英語が全く分からない人に対して説明をするならば翻訳は必須だが、皆が英語が出来る前提ならば日本語の言葉遊びには何の意味もない。文学作品を読むとか翻訳家養成の授業ならともかく、それ以外の場ならば英語力と内容に関する知識を身につけ、内容を理解するのが真の目的のはずだ。

もちろん、語学学校で言われているように「一切訳さない」「ネイティヴと同じやり方」という英語を理解する方法にも無理がある。
ノンネイティヴは発達の臨界期を過ぎれば、脳の機能が母国語に集約してしまい、ネイティヴと同じように英語を使うことは出来ない。

翻訳は言葉そのものと同様に道具である。訳がないとどうしても理解できないのであれば利用すればよいが、訳さずに理解できるならそれ以上訳にこだわるのは言葉遊びに過ぎない。英語を読んだり聞いたりして理解するためには、単語、文法、内容に関する幅広い知識を身に付け、英語と日本語の違いには気をつけなければならない。しかし、同時に日本語にとらわれすぎることもないようにしなければならない。
| 英語 | 00:15 | トラックバック:0コメント:0
ゼミの発表と大学教育
大学の授業が開講されてしばらく経つ。
私も大学院に入って、初めてゼミで発表を行った。
また、私が発表しなくても、他の学生が発表する授業がでてきた。

科目にもよるが、多くの科目では、教科書の内容を要約したレジュメを作り、それを読み上げるという形式だ。

私はそういった形式の「発表」を学部時代も1、2回行っている。その頃から常々思うのだが、これは「発表」ではないし、教育的効果が極めてあいまいだと思う。

まず、教科書の難易度と内容だ。

そもそも、一度読んでわかるものは、誰かが要約してレジュメを書かずとも、皆一度読んでわかるはずだ。それならば担当の学生の作業時間を割く理由はないし、授業時間を割く理由もない。

教科書の難易度が非常に高い場合は、学生が読んでも分からず、レジュメを書こうとしても良いものが出来るはずがない。難易度が高いものは教員が説明すべきだ。

内容に関して、基礎的な学習を終えた前提での発展的な内容の文章、言い換えるなら、過去の研究をまとめた学部3年から大学院生向けの教科書は、さまざまな研究を箇条書きと変わらないような感じで列挙しているだけで論点に乏しかったり、筆者の意見が書かれている非常に高度な専門書の場合は内容が難しすぎたりする。

そのようなものを学生に任せて授業で行うことに、どのような教育的効果があるのだろうか?

そんなものは「発表」というよりは「要約」もしくは「箇条書きと棒読み」に過ぎない。

では、大学のゼミでは何をすべきだろうか?

学年や科目の種類にもよるが、大学学部3・4年や大学院のゼミでは大きく分けて2つのやり方が考えられる。

一つ目は専門分野に関してテキストの章ではなく論点を毎回決めて議論することだ。課題として教科書を事前に読むのも良い。ただし、だれかが読んでレジュメを作るのではなく、全員でレベルに合ったものを読むということだ。これにより、皆が予備知識を習得し、自分の意見を論理的に組み立てて議論する訓練になろう。

もう一つは実習を中心とした授業を行うことだ。
卒論や修論を書くために必要な調査研究法は、一方的な講義や読書だけでは習得できない。
研究法を習得するために、教科書には書かれていない研究のノウハウを実際の調査を利用することは学生にとっては良い機会である。
それは、学生自身の卒論、修論、の作業の準備でも良いし、上級生の卒論、修論、博論、その他論文や教員の研究の手伝いでも良い。
無論、それは教員のアカハラであってはいけないので、学生の希望を聞くべきだが、特に学生当人達の反対がなければ全体のためになるのではないだろうか。

学生は数年間を大学で過ごし、就職または上級の学校に進学する。
その準備期間や学習の受け皿である人的社会的資源は限られている。
大学の教員には、それらを無駄にすることのないようにしてもらいたい。

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| 教育 | 23:01 | トラックバック:0コメント:0
学力とは何か?
学力とは何か?
知人から聞いた話だが、ある学会で、学力の定義自体が定まっていない、という議論があったそうだ。
確かに、学力という言葉は、歴史や科学といった特定のものの知識を指すものではなく、より抽象的な概念だ。

心理学では、かつて知能研究が盛んだった。しかし、知能の定義をめぐって、「知能検査で測られたもの」という定義となった。もちろん知能検査は「知能を測る検査」である。あるものの定義を同じ言葉で表すことを同義語反復(トートロジー)という。これによって、定義が出来ないことで明解な議論が出来なくなってしまった。

同様に、学力も「学力テストで測るもの」とはいえない。
何らかの定義をして「試験」や「学力向上」には明確な目的意識をもって取り組むことが必要である。

私は将来、海外の大学院に留学したいと考えている。
そのために留学エージェントや留学を斡旋する公的機関などの説明会やカウンセリングを何回か利用したことがある。

アメリカ留学の際には以下のものが必要である。
1 TOEFL アメリカの英語資格試験
2 GRE、GMAT、SATなど、大学(大学院)入試共通試験
3 前の学校の教師や職場の上司の推薦状
4 GPA(前の学校の評定平均)
5 財政証明書など

このうち、学力といえば大学入学共通試験や評定平均、英語資格試験のように思える。留学関連機関のスタッフもこれらのことしか言及しない。

しかし、留学に必要なものはそれだけではないだろう。
そこそこ英語が出来る人でも英文を読んで、「これは日本語で書いてあったとしても内容が理解できないだろう」と思ったことはないだろうか?
いわゆる難関大学出身者なら別だろうが、そうでない人は、専門的な学術書を難なく読むということが如何に困難か、容易に想像がつくだろう。

おそらく、留学関連機関のスタッフは、富裕層で元々難関大学に行っていた人のみを対象にしようと考えていて、教育そのものに真摯に取り組もうという意思がないのだろう。

学力の定義はまだきちんと定まってはいない。
しかし、いい加減なまま、学力をうやむやにしてはならない。

進学にせよ、就職にせよ、それに必要な知識や思考力とは何で、どうやったら身に付くかを議論し、学力を再定義してもらいたい。

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数の力
憂鬱だ。
このブログやホームページを有名にするにはどうすればよいだろうかとここ数日考えっぱなしだ。
大学院の宿題やちょっとしたトラブルの処理でゴールデンウィークが台無しだというのに、悩みが山積する。
本屋に行くとホームページやブログのアクセスを増やす方法なるものを紹介する書籍がたくさん置いてある。
それら全てを立ち読みはしたものの、全て理解して実行するのは余程の上級者で時間がある人でない限り不可能だ。皆そんなことしているのか。
しかもアクセスアップの方法が、どこまでが良くてどこまでが悪いかがはっきりとは書かれていない。インターネットが普及した今日この頃とはいえ、自分の意見を広く普及させるのは並大抵のことでは出来ないと痛感している。
ところで、ネットでは人気のあるサイトがよくリンクされたり、検索されやすくなるそうだが、これでは皆、内容をよくするのではなく、数が多い方に集中するだけだ。中々少数意見の立場が強くなることはない。

心理学や社会学では古くから社会的影響というものが研究されてきた。

心理学でいわれている、他者が皆ある行動を取ることによって自分も釣られる「同調」と呼ばれる行動はその一つだ。少数派が自分の意見を一貫して述べれば、少数派でも多数派に逆転しうるという説もあるが、条件が厳しく、なかなか起こらないようだ。

また、社会学では政党の連立のあり方が、政策の具体的内容や思想ではなく、数合わせの戦略で決まるといわれている。細川連立政権のように少数政党の力で政権を取ることもありうるが、少数派が安定して支配に結びつけることは難しいとされる。

なかなか、ゼロからのスタートで社会的影響力を強めることは困難なことらしい。このブログや姉妹ホームページも完成してわずかな時しか経ていない。あせらずに仲間を募り、拡大していかなければと思う。

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