英語学習サイト「英語克服戦記」の姉妹編。 教育だけではなく、食生活、差別、メディア、国際関係といった社会問題一般や作者の生活について述べていきます。

のいちごくっきーの宇宙日記

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| | 00:55 |
日本の、これから 学力
日本の、これから 学力を見た。
今話題の和田中藤原校長らが出演していた。

この番組シリーズ全般に言えることだが、司会者やディレクターが議論をきちんとまとめようという意思が見られない。知識か知恵か、上位層重視か下位層重視か、予算かアイディアかといった必要条件と十分条件の区別もつかないレベルの低い2分法に終始していた。どれも重要なのは当たり前のことで、それぞれに工夫が必要だ。司会者は議論のきっかけと称していたが、論理的に破綻しているものがきっかけとして役に立つわけがない。

三つ許しがたいと感じたのは、教師の腐敗した体質の露呈と、子どもに学びの意義を説明できる人が誰もいなかったこと、子どもが携帯電話が好きなことに真摯に向き合っていないことだ。


ローソンの新浪社長らがアメリカの大学でのTeaching Evaluetion(教師評価制度)に言及し、教師の質の維持向上にはこれが不可欠だと述べた。私もこの意見には(多少修正は必要だが)基本的には同意する。これがなければどんなに質が悪い教師でも解雇されず、学校が腐敗する温床になるからだ。現状は指導力不足教員の既得権益の温床以外の何者でもない。

学校設置基準などの名目で、小中高大全ての学校で、教員評価の存在を法的に義務付けてもいいくらいだ。ある教師が、小学校で子どもをしかればその教員は首かという反論をしていた。確かに児童生徒の評価だけに頼るのも問題だ。しかし、評価を年1・2回程度にし、かつ教え子の試験の成績や保護者の評価などを全て数値化し、その総合得点の高低で判断すれば、一時の関係の悪化で優れた教師が首になる可能性は低くなる。この考えは今まで言われている教員評価とは異なるが、要は多少修正してでも教師が厳正な評価を受け、質の悪い教員が淘汰される仕組みが必要だ。指導力不足教員によって学業達成がうまくいかず人生を台無しにされる人間を一人も出すべきではない。


最後に、出演した大人が、誰も子どもたちに学びの意義をきちんと説明しなかったことは本当に許しがたい。

ある高校生は「生活に必要なものは服、勉強はアクセサリー」といっていた。違う。勉強は人生に絶対に必要なものだ。

国語はコミュニケーションを取ったり、文章の読み書きに必要だ。それはひらがなやカタカナの読み書きだけでは不充分で、多少難解な表現も覚えなければならない。そうしなければ、人にうまく言いたい事を言ったり、新聞や本などで世の中のことを知ることが出来ない。

英語はインターネットでの情報収集やこれから機会が増えるであろう外国人との交流に必須だ。また、仕事や学業で最先端の情報が必要な場合はそれらを英語で読んだり聞いたりしなければならない。日本人は英語を使わないというが、英語が出来ないことは高度な仕事や学業をするには大きなハンディキャップとなる。

数学は仕事や学業で使うデータを読むのに必要だ。アンケート調査一つとっても、それが正しく分析されているかは数学が分からないと出来ない。調査の専門家でなくとも、新聞に書いてあるデータが正しいかどうかを見抜く力や仕事で簡単な算数をするのも学校で算数・数学の勉強をきちんとしていなければ出来ないことである。

社会や理科は自分の周りの世界がどうなっているかを知るものだ。これらを学ぶことによって自分はどのような世界に生きているか、自分の周りとどう関わればよいかを知るヒントとなる。

そしてそれらを身につけるには、問題を解くなどつまらない作業も必要だが、教師や親が工夫すれば本来は楽しく学べるし、一人で勉強をするにも、自分たちの生活に照らし合わせることは充分可能だ。

この番組では、携帯電話が悪いものとして捕らえられていた。確かに、他の事をしている時に携帯を使うのは集中力を削ぐ。しかし、これだって使いようだ。学校で一律に携帯を禁止にするのではなく、国語の授業で携帯電話でのコミュニケーションのあり方を議論したり、文面を作成する実習をしたり、色々可能性はある。教育における工夫に必要なものの一つは、子どもの文化を知ることだ。数十年前の女子高生は「ベルサイユのバラ」で歴史を学んだという。私の世代の男子は戦国シミュレーションで歴史を学んだ。ある教育論の本では、桃太郎電鉄で地理を教える家庭教師もいるという。世の中にはもともと文化資本に恵まれている子どもだけではなく、そうではない子どももいるわけで、そういう子のサポートにはこのようなやり方が不可欠だろう。

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| 教育 | 23:38 | トラックバック:0コメント:0
「過激な」性教育
文部科学省が教員向けの性教育の指導指針を改定し、「過激な」性教育に「歯止めを掛ける」などと
している。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080306-00000902-san-soci

この記事で紹介されている事例はどれも人間は生物である事を理解させることやリスクを抑える意義がある。性器や性行為の説明は人間は生物であるということを教えているわけだし、避妊具を試験官にかぶせる実習は避妊の方法をきちんと教えており、性行為のリスクを抑える意義がある。

人間は生物であり、セクシュアリティは生物としての人間にはどうしてもつきまとうものだということは当然であり、自らを知ることが行動の指針を決める第一歩となるわけで、それを幼いうちに教えることのどこが悪いのだろうか。むしろ、性役割などというものを教えることで、やりたいことに対する不当な行為の制限や不当にコストが要求されることが起こる。ジェンダーを刷り込むことには何の正当性もない。出来るだけ低年齢のうちにセクシュアリティの敷居を低くし、性行為の際の避妊の方法もきちんと教え、かつジェンダーの解体を促せば、個人の責任の下による義務と権利が徹底化されるだろう。

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| 教育 | 21:41 | トラックバック:0コメント:0
NHKスペシャル 激流中国
NHKスペシャル激流中国を見た。
中国を扱ったドキュメンタリーとしては異色の内容だったので、気になった点をまとめてみる。

一流大学の学生が実習として貧困層がいる農村の学校で教師として働くというものだった。

ある生徒は、父親を亡くし、母親は怪我をして体が不自由になった上、知らぬ間に膨大な借金を抱えた。弟は出稼ぎに行くかどうか、自分は大学進学を目指せるかどうかという困難を抱える。学生はその生徒に奨学金を取らせたいが他の教師の意向で何も出来ず、借金の利子が多すぎることに抗議したり借金の金額を減らせるか掛け合っても何も出来ない。学生は時には涙しながら子どもたちに接する。

私はこの番組を見て、2つの思いを持った。

一つは、貧困問題を扱った番組を見ていつも思うことで、「だから日本人は恵まれているのだ」などと思われるのは困るということ。日本は識字率は100%近くあるものの、実際は算数も中学英語も出来ない大人だっているわけで、全ての日本人が高い教育を受けているわけではない。こういう番組によって日本の問題が隠蔽されないようにしてもらいたいと思う。ただ、このことは本記事の大意ではない。

もう一つが重要で、恵まれた環境に育った人間が苦労して社会問題の解決に携わろうとしていたことだ。私はこの番組に出ていた学生の姿に共感をおぼえ、感銘を受けた。中国の格差(と他国の格差)を扱ったドキュメンタリーでは、貧困層と富裕層が完全に分断され、富裕層は単に貧困層を搾取することしか考えていないように報道される。実際にはそのような人も多いのだろうが、高い能力を持ち、社会に貢献しようと志す本当の意味でエリートにふさわしい人の姿が映し出されることはこれまでなく、異なる層の間で接点がもたれることは好ましいことといえよう。

アメリカのワーキングプアの実態を記述した「ニッケル・アンド・ダイムド」で筆者は、富裕層と貧困層の分断の原因の一つとして富裕層出身者は低賃金労働を体験せず、貧困層の生活の過酷な実態を知ることがなく、問題解決への興味もわかないということを述べている。今回の番組ではどうすれば分断の構造を解消できるか色々考えさせられた。


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| 教育 | 00:04 | トラックバック:0コメント:0
夜スペシャル
本記事は2月3日に一部修正されています。

杉並区立和田中学校が、成績優秀者のみを対象に夜間に塾講師を招いて特別授業を行うという「夜スペ」が賛否両論となっている。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080126-00000961-san-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080126-00000960-san-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080126-00000959-san-soci

結論から言うと私は夜スペ反対だが、実はこの問題は複数の問題が複雑に絡み合っているため、論評は難しいのだが、最低限の整理をして私見を述べたい。賛成派反対派両方の議論に問題があるので一つ一つ見ていこう。

メディアで取り上げられている主な論点は以下のように分けられるだろう。

1.公教育に塾が介入してもよいのか
2.成績優秀者のみを対象とするのは好ましいことか
3.安くても有料ならば経済格差によって教育の機会均等が失われないか

その他に公務員の労働のあり方が反対論者からあげられるが、あまりメディアではとりあげられない。この問題では仕事を教員以外が負担する調整が可能なため、本質的な問題としてはそれほど深刻ではないだろう。

1は仮に通常授業で介入すれば公教育への介入だろうが、通常授業への参加ではないため、公教育を本当に悪化させるのかは疑問だ。昼と夜の授業が連携されているならば、夜スペに参加していない子どもには迷惑千万となるから避けるべきだが、学習指導要領に沿っているならば学校間での教育に大きな差があるとはいえない(そのために学習指導要領を改善しなければならないという別の問題はあるが)。

あと、公教育というが、教育とはそもそも公的であるべきで私的利益のみを追求する教育というものはそもそもありえない。公的に有害な「私教育」なるものは淘汰されなければならない。仮に現状の学習塾が公教育と相反するものという認識があるなら、「夜スペ」にとどまらず塾自体のあり方を議論してもよいはずなのに、それがなく、「私教育」が公教育とは違うけれどもあってよいかのような考えがあるともとれる。その点で、夜スペ賛成派反対派ともに教育とはどうあるべきかのビジョンがあいまいとなっている。

2について、これはやはり教育の機会均等の観点で問題があろう。もちろん、教育は個々人の能力に応じたものでなければならないため、習熟度に応じたクラス編成は行う必要がある。しかし、それは自動車教習所的に「Aさんはレベル1を終わらせているからレベル2の勉強をしよう。Bさんはまだだからレベル1の勉強をしよう」というのとはシステムが異なる。夜スペの対象者ではない子どもはずっと高度な勉強が出来ないままでいるという可能性があるのだ。ここに偏差値偏重教育の弊害がある。相対評価では到達度は測定できないし、それに基づいた教育では個々人に必要な教育が見えてこない。今うまくいっている子どもには受験のテクニックを教え、それ以外は放置ではなく、(学年の区別をやめて、一クラスの人数が多くなってもいいから)全員に自分のレベルに会った教育を提供し、その後は上のレベルを学習させるというシステムに改めるべきである。

3について、これも教育の機会均等の観点で問題はある。一般の塾に通える子どもとそうでない子どもの格差はどうか、都市部と地方ではこういうことが出来る出来ないで差があるだろうというのは賛成派反対派両方が主張する。どれも平行して取り組むべき問題ではある。夜スペにかかるコストを無料の補習の強化にまわせるならば、そうした方が問題点は最小限に抑えられると思う。

ここでメディアに取り上げられない問題を一つ指摘すると、「すべての親は子どもの学力向上を願っている」ということは迷信であるということだ。経済格差だけではなく文化的な格差(社会学でいう文化資本の差)、そしてゆとり教育的な思想の弊害によって「別に勉強がすべてではない」などといい、子どもが将来ハンデを背負ってもよいという無責任な親は多少なりともいるということを理解しなければならない。だからこそ学校教育の強化が必要なわけで、教育を受けられる子どもとそうではない子どもの差を最小限にするシステムを社会全体で作る必要がある。

結論として、和田中学校が取るべき最良の選択肢は補習の強化であり、夜スペはそれ自体が有害ではないにせよ優先順位を間違えているといえる。現行の補習が完全に成功しているならばクラスの中で出来る子と出来ない子の成績の差など出ないだろう。(2月3日朝日新聞での藤原和博校長のコメントによると選抜テストでの不合格者はいないとのことだが)実際に生徒間で差が出て(事実上の)「選抜ができている」ならば、出来ない子に対する教育は成功していないということだ。出来る子は出来る子で通常の補習が必要ないほど出来るなら上の学年の補習に出席させるなどすればよく、和田中関係者は習熟度別学習の望ましいあり方を理解していない。これで全国の教育関係者に混乱をもたらすことは必至であり、得するのは介入した塾だけになってしまう。和田中は早急に路線の変更をする必要があるといえよう。

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まだ内容は少ないですが、随時加筆していきます。

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| 教育 | 15:06 | トラックバック:0コメント:0
必修単位未履修問題その2
なんてひどいことだ。

結局、何の落ち度も無い高校生が70時間(50時間)の補習を受けることになる見通しだ。

「公平性」なる言葉が独り歩きしている。
大体、前までの年度の生徒と、今の生徒との差をどうするのか。
さらに言うと、普通科と職業科、総合学科との差をどうするのか(私はこのような公平さの観点で、職業科、総合学科廃止論者である。現行の職業科の科目は、高校の付属専門学校か、高専のような形にする)。

今回はもうどうしようもない。数時間の補習と高認(旧大検)の科目試験で免除させてやればいいではないか。

70時間課せば良いというものではないことは明白だ。
前にも記事で書いたが、無学年制習熟度別クラス編成、高認(旧大検)とセンター試験、期末テストを統合した日本版SATを作ることが教育改革には必要だ。全国民に対する教養の普及と公平な教育と評価にはこの2つは不可欠だ。

世の中算数や中学英語もわからない大人がいるのに、学校で時間を過ごすことイコール教育を受けたこととみなすことがそもそもおかしい。時間という量より習得した結果である質を見るべきだ。

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